ギラン・バレー症候群 治療とリハビリの記録

2018年3月にギラン・バレー症候群を発症してから米国ハワイで治療とリハビリを行なってきた。アメリカと日本の比較も含めて参考までに治療の経緯を記録する。

事件

2018年3月23日

この日の午前11:50頃大きな事件が起きた。

自発呼吸の練習に付き添っていた妻が席を外した一瞬の隙に僕は自分で体を起こして人工呼吸器のチューブを口から引き抜いた。チューブは肺に空気、胃に栄養を送っているもので簡単に抜けるようなものではない。戻った妻が、チューブを抜いて苦しんでいる僕を見つけて絶叫して看護師を呼びに行った。

僕には知る由もないが事件はこれだけでは終わらず、医療ミスを疑った妻が病院側の責任を追求する事態になった。病院側は訴訟になることを懸念して病院長、弁護士と各部門の責任者を揃えてこちらと話し合いをすることになった。

僕はスヤスヤと寝ていたはずで役に立たないので、妻が知人に頼んで通訳を兼ねて話し合いの席に来てもらったそうである。話し合い自体は医療ミスの誤解も解けて、病院側も誠意ある対応をしたため妻も納得して終了した。

そしてその直後から僕の看護は厳戒体制に変わり、看護師1人が必ず僕の病室内に待機して24時間監視することになった。それから呼吸器のチューブをまた抜いてしまわないように、ベッドに両手を縛っていた紐の長さが厳重にチェックされることになった。

この事件で一気にICUで一番の問題児になってしまった。この時の実際に起きたことの記憶は何ひとつなく迷惑をかけたみなさんには申し訳なかった。しかし、実は夢の中での記憶はあって、とても人に言えないような恐ろしい夢を見て死にもの狂いで呼吸器のチューブを引き抜いてしまったのだった。