ギラン・バレー症候群 治療とリハビリの記録

2018年3月にギラン・バレー症候群を発症してから米国ハワイで治療とリハビリを行なってきた。アメリカと日本の比較も含めて参考までに治療の経緯を記録する。

目が見え始める

2018年4月4日

前日に口から肺と胃まで通していたチューブを取り外したが、栄養を胃に送るチューブはまだ必要なのでそれまでより少し細いチューブが新たに鼻から胃まで通されていた。

まだあまり喋ることができず、妻の名前を呼んだり、Cough(咳)、Yes、Noと言っただけだった。この日は頭痛がひどかったようである。

 

2018年4月5日

人工呼吸器が外れたので、病室に看護師が常駐する必要はなくなった。

入院してからずっと使用していた尿バッグの管を取り外した。この日から便器で尿を足すことになった。それはいいのだが、夜はあまり眠れていなかったので頻繁に看護師を呼んで用を足すのは面倒だった。

 

目が見え始める

おそらく4月に入った頃からわずかに左目のまぶたが開き始めたと思う。看護師に手で目を開けてもらって周囲を見ることもあったが、最初はあまり色を認識できず、すべてがセピア色に見えていた。それと麻痺で瞳孔が閉じなくなってしまって、部屋の照明がとても眩しかった。

また歩行練習をする時には片目だけ開けてそれをテープで貼り付けて周囲が見えるようにしていた。

 

幻覚は・・・

周囲を目で認識するようになってから、幻覚はだんだん減っていった。

実は幻覚の中の病院は最先端の設備が整ったすごい病院だった。建物はホノルルのおしゃれなショッピングモールみたいだし、ガラス張りの病室はそれぞれが上下に移動して別の階に行くことができた。すごいっ!

また病院全体に3次元の映像を映すことができて、病室ではアニメの魚が泳いでいる海の中で寝ていることもあった。そして建物の中をリハビリ用の電車が走っていてゲームセンターやバーチャルの歓楽街のようなところまで電車で行って、そこでリハビリをした。

しかし、、、目が見えるようになってからごく普通の病院だということが分かって、3Dの映像も電車もなかった。。。電車に乗って移動している感覚だったのに、ただ病室内の椅子に座っていただけだと分かって衝撃を受けた。それでもあきらめきれず、あれはVRを装着して映像を見せられていたのだと主張したがそれも否定された。

今度はあんな病院に入院してみたい。