ギラン・バレー症候群 治療とリハビリの記録

2018年3月にギラン・バレー症候群を発症してから米国ハワイで治療とリハビリを行なってきた。アメリカと日本の比較も含めて参考までに治療の経緯を記録する。

人工呼吸器を外す

2018年4月2日

朝7時からリハビリで椅子に座る練習をした。また午後には理学療法士(PT)が来て歩行練習が行われた。この日は歩行器を使って38m歩いたのだが、もっと歩きたかった。

もう2、3日前から悪夢は見ていなかったので、両腕をベッドに縛っていた紐を外してほしいと言った。紐が外されて腕が自由になりうれしかった。人工呼吸器に触らないでねと看護師に言われた。

人工呼吸器のチューブを口から挿管している状態は体に負担がかかるので一般的に14日が限度と言われている。この日ですでに22日経っていたので、普通であれば気管切開手術をして喉からチューブを挿管しなければならない。しかし、まだ若くて体力があるので、性急に手術をするよりも回復することを期待してもう少し待った方がよいという判断をドクターはしていた。人工呼吸器を外すかもしくは手術を行うのか、1週間以内に決めることになっていた。

 

2018年4月3日

人工呼吸器のチューブの口から喉にかけての部分を3日に1度位付け替えていたのだが、それが喉に当たるのが苦しくて大変だった。この日も付け替えが行われてあまりの苦しさに腹が立った。あと1週間様子を見ると医師に言われていたが、もう人工呼吸器に嫌気がさしてしまったので取り外したいと紙に書いて訴えた。

夕方、ドクターに来てもらって呼吸器を外す相談をした。

「(たいした根拠もなく)僕はもう大丈夫だと思うから今週中に一度外してほしい。」

すると、あっさりと予想外の返事がきた。

「オッケー、じゃあ今から取り外そう。」

「えっ!!今から??」

と自分で要求しておきながら動揺していた。。。

さすが個人の主張を尊重するアメリカ。何でも自己責任の国なのだと改めて思う。しかし今考えると下手をすれば呼吸ができなくなって命に関わるのによくそんな要求を自分からしたなあと思う。

そして夜7時頃に病室で人工呼吸器の取り外しが行われた。軽い痛み止めを入れてチューブを引き抜いたのだが、妻によると見るに堪えない阿鼻叫喚の様だったそうで、同席したことを後悔したらしい。僕はおぼろげながら自分でチューブを引き抜いてしまった時の苦しみの感覚と悪夢を思い出していた。

呼吸器を外してしばらくしてから看護師に自分の名前を問われて、ひと言だけ喋った。この時、3週間振りに言葉を発したのだった。その日の夜は呼吸に大きな問題はなかったのだが、咳、頭痛、めまいで苦しんで、また悪夢を思い出して不安になり精神的に非常に不安定になった。ほとんど眠ることができず、その日は病室に泊まった妻を何度も起こした。

しかし、朝6時になった頃には体調が良くなり不安も消えていた。自分はもう大丈夫とアピールしたくなったようで、看護師を呼びつけて朝っぱらから椅子に座りたいと言い出した。看護師はリクライニングチェアで疲れて眠っていた妻を申し訳なさそうに起こして、僕をそのチェアに座らせたらしい。僕はそうとは知らず、意気揚々とチェアに座って妻に向かってサムズアップでもしたのだろう。