ギラン・バレー症候群 治療とリハビリの記録

2018年3月にギラン・バレー症候群を発症してから米国ハワイで治療とリハビリを行なってきた。アメリカと日本の比較も含めて参考までに治療の経緯を記録する。

日本に搬送?

2018年3月21日

日本へ移送する選択肢もあると看護師さんに言われた。米国の治療費が高いことを心配していて、また日本に戻れば家族のサポートも受けられると考えたようだ。ハワイは親日の人が多いので日本を過大評価する傾向がある。医療レベルもヒロよりも日本の方がずっと高いと考えているようだが、実際はそんなことはないだろう。

ヒロメディカルセンターではたくさんの医療スタッフにお世話になった。日本と比較して仕事が分業化されていてスタッフの人数が多くその点で安心できる体制だった。ICUのナースマネージャーさんの配慮のおかげで、ICUの中でも優秀な看護師を担当に付けてもらった。ヒロNo.1ナース、マジックの異名を持つ凄腕ナース、No.1フライトナース、ほぼ専任の看護助手など。また米国には人工呼吸器専門のセラピストまでいる。そして病棟の責任者のヒロNo.1ドクターには何か疑問があるたびに病室に来てもらっていたが、いつも患者のことをよく考えて納得のいく回答をしてくれた。

 

2018年3月22日

この頃には自発呼吸のトレーニングを始めた。また床ずれしないように2時間おきに体位を変えもらっていたのだが、サムズアップで看護師にお礼をしたらしい。

この頃は怖い夢をよく見ていて、死んでもいないのに死んだことにされそうになって、頑張って足を動かして、自分はまだ大丈夫と訴えようとしていたことを覚えている。

何にしても手足の麻痺はこの頃から少しずつ回復していたことになる。また首から上に動きが見られたことで、医師からは改善の兆候であると言われた。

それと、職場にも協力してもらって、日本への搬送や受け入れ先の病院について調べることになった。