ギラン・バレー症候群 治療とリハビリの記録

2018年3月にギラン・バレー症候群を発症してから米国ハワイで治療とリハビリを行なってきた。アメリカと日本の比較も含めて参考までに治療の経緯を記録する。

ギラン・バレー症候群の発症そして入院

2018年3月8日

この日の夕方、仕事中に目に違和感があって見え方がおかしいと感じた。帰宅後、夜になってから物が2重に見えるようになってしまった。

十数年前にも開散麻痺という目の神経が一時的に麻痺する病気にかかったことがあるので、この時点ではそれほど深刻に感じていなかった。とりあえず一晩様子を見て、翌朝、病院に行くことにした。

 

2018年3月9日

朝になっても症状に変化がなかったのでホームドクターの病院に行くことにした。米国では病気になったらまず家庭医であるホームドクターに診てもらって、ホームドクターから専門医を紹介してもらうのが一般的である。

脳に異常がないか調べるためにMRIを撮りましょうということになって、総合病院のヒロメディカルセンターに行ってMRIを撮った。この日は金曜日だったのでMRIの結果は翌週の月曜日に聞くことになっていた。

ところが、病院から家に戻ってしばらく寝た後、普通に歩くことも難しくなってしまったので、夜10時頃に救急病院(MRIを撮ったヒロメディカルデンター)に車で連れて行ってもらった。

ギラン・バレーは早期に治療を開始することが重要なので、まだ何とか自分で歩ける状態の時に病院に行くことができたのは良かったと思う。これが日本だった場合、救急病院がどこにあるのか分からなかったり、救急車を呼ぶのを躊躇することもあるかもしれない。もし病院に行くのがもっと遅れていたら、病気が進行してさらに重い症状になっていたのだろうと思う。

病院のERではギラン・バレー症候群、ボツリヌス症などの病気を疑い検査が行われた。昼間に撮ったMRIの結果はすでに出ていて脳に関して問題はなかった。ギラン・バレーという病名は聞いたことがあったが、どういう病気であるのか全く知らなかった。症状としてはギラン・バレー症候群の亜型と言われるミラー・フィッシャー症候群の特徴である外眼筋麻痺、運動失調、腱反射消失が見られていた。しかし他の病気の可能性もあり、診断を確定するには髄液検査の結果を待たなければならなかった。検査が終わる頃には夜中になってしまったので、この日は病院の処置室のベッドでそのまま寝た。

 

2018年3月10日

この日の朝から2週間の記憶がなく、以降は後に妻から聞いた話である。

明け方になり処置室から入院病棟に連れて行かれた。前日の髄液検査の結果はまだでていなかったので診断は確定していなかったが、病気の進行を止めるためのIVIG(免疫グロブリン製剤)という血液製剤の投与が朝から始められた。

この判断の速さはさすが米国の病院だと思う。日本の病院では診断が確定するまでIVIGが投与されない例もあるようで、やはりアメリカで発症してよかったのかもしれない。一度帰宅した妻が病院に戻ってきた時にはIVIGの副作用で吐き気があり食事が摂れず、リンゴジュースを飲んだが戻してしまったそうである。その後一般病棟からICUに移動して、2ヶ月の入院生活が始まった。