ギラン・バレー症候群 治療とリハビリの記録

2018年3月にギラン・バレー症候群を発症してから米国ハワイで治療とリハビリを行なってきた。アメリカと日本の比較も含めて参考までに治療の経緯を記録する。

人工呼吸器を挿管

2018年3月11日

この時点でホノルルの病院でより良い治療が受けられるのであれば転院することが検討されたが、ヒロの病院と変わらないことが分かった。

引き続きIVIG(免疫グロブリン製剤)が点滴で投与されている。これは5日間連続で行われたが、症状の改善が見られなかったため、その後19日から2回目の投与が実施された。

また、喉の筋肉の動きが弱くなってきて唾を飲み込むことができなくなり、呼吸ができなくなる危険があるので、午後に人工呼吸器を口から気管挿管した。この日から口から食べること、喋ることができなくなった。

人工呼吸器を挿管してから痛みを伴う激しい咳が出て苦しむようになって、ずっと鎮静剤や鎮痛剤が投与されていた。日本の病院で継続的に鎮静剤などを投与し続けることがあるのかどうか分からないが、アメリカの病院では積極的に薬で症状を抑制させる傾向が強いと思う。薬を使うのも善し悪しだと思うが、薬の副作用でこの日から3週間ぐらいずっと悪夢を見続けていて、夢と現実の区別もつかなくなっていた。


2018年3月14日

神経内科の先生の診察によると、ミラー・フィッシャー症候群と思われるので、通常のギラン・バレーよりは早く回復するだろうと言われた。しかし、人工呼吸器が外れるのに1、2ヶ月かかると予測していて、その場合は気管切開手術をして喉からチューブを挿管しなければならない。

 

2018年3月15日

僕が指を使って911という数字を書いたそうで、911というのはアメリカの緊急電話番号である。またこの頃は人工呼吸器に触らないように両手をベッドに縛られていたのだが、それを外すように訴えていたそうである。

ほとんど意識がない中でずっと悪い夢を見ていた。何度も殺されそうになっていたので、911は救急車ではなくて警察を呼ぶように周囲の人に助けを求めていたのだろう。