ギラン・バレー症候群 治療とリハビリの記録

2018年3月にギラン・バレー症候群を発症してから米国ハワイで治療とリハビリを行なってきた。アメリカと日本の比較も含めて参考までに治療の経緯を記録する。

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2018年4月12日

スピーチセラピーでは、小さい氷を飲み込むトレーニングをしている。口を洗浄して雑菌を除去しておけば、飲み込んだ氷が間違って肺に入ってもあまり問題はない。

この頃は手がしびれていて手作業がうまくできなかった。PTではセラピストに補助されながら歩行器無しで歩く練習を始めた。

 

2018年4月13日

PCUから一般病棟に移動した。

少しずつ目は開いてきていたが、まだ文字を読んだりテレビを見たりするのは難しかった。スマートフォンを見たり、本を読むことができないのは退屈だった。

妻は毎日、朝8時半頃に来て夜8時頃まで病院にいた。ICUでも一般病棟でもアメリカの病院には面会時間の制限が無かった。妻が帰宅した後、夜は1人で過ごさなければならかったが、毎晩3時間程しか眠ることができなかったので、録音してもらった日本のラジオや音楽を聴いたりしていた。


2018年4月14日

この日に右目のまぶたが少しだけ開いた。また全然動かなかった黒目が少しだけ動くようになった。

 

2018年4月15日

毎日のトレーニングの成果で嚥下機能は少しずつ回復していて、翌週の火曜か水曜にまたX線テストをすることになった。

この頃には自分の手でiPad miniを持って、半分開いていた左目を使って画面を見ることができるようになった。メールを読むこともできるようになったが、目も腕もすぐに疲れてしまう。

1ヶ月以上も情報を閉ざされていたので、外界で起きていることを何も知らなかった。ハリルボジッチの解任とか。

 

2018年4月16日

経鼻チューブのせいで喉に痛みがあって、氷を飲み込む練習の時もチューブが邪魔して飲み込みづらかった。

転院できる状態になったら、まずはホノルルの病院に入院してリハビリをすることになっていた。その後は日本に行くか、もしくはヒロの自宅に戻ってリハビリを続けることを検討していた。