退院して2ヶ月
2018年6月18日
リハビリのスピーチセラピーを英語で受けている。この日は英単語の発音が中心だった。唇をきつく閉じることができないので、Pの音、Bの音、Fの音などは特に難しい。また口を大きく開くことができないので、日本語で言えば「い」の発音が難しい。
日本語でスピーチセラピーを受けられないのは残念だが、英語の発音の練習にもなるのでまあいいかと思う。ちなみにスピーチセラピストは別として、アメリカ人には僕が滑舌が悪くてうまく喋れないことが分からないらしい。英語には色々な訛りがあるし外国人は発音が下手なのであまり気にならないのかもしれない。
通っているリハビリ施設では小さな子供がよくスピーチセラピーを受けている。病気なのかどうかは分からないが、発音の練習をしに来ているのだと思う。プリスクール(幼稚園)や小学校でも徹底的に英語の発音を習うようだが、スピーチセラピーに通うこともあるのだろう。英語の発音はやっぱり難しいと思う。非ネイティブが大人になって英語の発音を身に付けるなんて無理な話だ。
2018年6月19日
ヒロメディカルセンターのICUを訪問した。退院して以来、訪れるのは初めてだった。お世話になった医師や看護師に会って話をすることができたが、休暇で会えなかった人もたくさんいて残念だった。まだ完全に回復したわけではないが、元気になった姿を見せることができてうれしかった。
短い時間の訪問だったので、ICUでの苦しかったことを思い出す間もなく、みんなに近況を報告して、写真を撮って帰ってきた。
2018年7月10日
自宅に戻って2ヶ月が経った。全体的に少しずつ回復していることに変わりわない。リハビリ施設には週に4日程度通っていて、リハビリの内容は以前からほとんど変わっていない。
下半身は・・・
軽いジョギングをしていると以前よりは足がしっかり上がるようになってきたと感じる。バランスが依然として悪くて片足立ちはまだ不安定である。
上半身は・・・
上半身全体のしびれやずっしりと重い感覚は依然として残っている。手を使う作業は少しずつ安定してきていると感じる。
筋力、関節は・・・
筋力は少しずつついているが、関節がまだ弱い。右肩、左肘の関節が特に弱いと感じるが、サイドプランクの姿勢が以前よりも安定してできるようになった。
心肺機能は・・・
軽いジョギングで1.5km位走っているが、以前ほどは息が切れず疲れなくなってきた。
顔面は・・・
顔の右側の麻痺は少しずつ回復していて、笑顔が作れるようになってきた。右側の口角は左とほぼ同じ高さまで上がるようになったが、口を開いた時に右下唇を下げるのが難しい。唇をきつく閉じることは依然としてできない。
目は・・・
黒目の動く範囲はほぼ正常に近づいたと思う。黒目を端に動かした時に目が揺れることもなくなった。複視の症状は少しずつ回復していて、1m程度の距離であれば1つに見えるようになった。以前は物が斜めに2重に見えていたが、今はほぼ水平に見えていて遠い距離にある物ほど離れた位置に見えている。
嚥下は・・・
飲み込みや舌の動きの回復はまだ不十分である。
発話は・・・
滑舌はまだ不十分であるが、少しずつ改善しているように思う。
病気の原因について考えること
ギラン・バレー症候群というのは自己免疫疾患の1つであり、自己免疫疾患というのは自己の組織や細胞を異物と誤認して生じる病気のことである。ウイルス感染や細菌感染などがきっかけとなって、本来は外敵から自分を守るためにある免疫のシステムが異常になり自己の末梢神経を攻撃すると考えられている。
僕は2月初めにFlu shot(インフルエンザの予防接種)を受けていて、3月8日に全身の麻痺を発症したので、ワクチンが病気の発症のきっかけになったのはほぼ確かなことだと思われる。
しかし、ワクチンが自己免疫疾患の原因になったというのは違うような気がする。自己免疫疾患は何らかの原因で潜在的に発症していて、ワクチンが引き金となって体の麻痺という自覚症状が表れたという方がしっくりくるように思う。医学的なことは分からないが、そう考える方が実際に病気になった自分の実感には合っている。
原因が何かは分からないが、精神的なストレスや肉体的な疲労など考えられることは色々あるだろう。そう考えると仮にあの時、インフルエンザワクチンを接種していなくても、別の何かがトリガーになって同じ病気を発症していたのかもしれない。しかしワクチンさえ接種しなければ、やり過ごせた可能性はあるのだろうとも思う。
Flu shotを接種したあの日、ちょうど米国ではアメリカンフットボールの年間王者を決めるスーパーボウルが開催されていた。その日の午前中に妻と一緒にSafewayの薬局に行ってFlu shotを受けた(アメリカでは保険に加入していればスーパーマーケットの薬局などで無料でFlu shotを接種できる)。
あれから一年、これを書いている今日もたまたま年に1度のスーパーボウルの開催日であり、こんなことを考えていた。これからもスーパーボウルの時期になると思い出すのだろうか。
退院して1ヶ月
2018年6月10日
自宅に戻って1ヶ月が経った。リハビリ施設に通い始めたのは6月4日からで、それまでは自宅でリハビリをしていた。全体的に大きく回復したとは言えないが、神経の麻痺はゆっくり回復していくものなので仕方ないだろう。
下半身は・・・
毎朝、散歩をしていて歩行は少しずつ安定してきたと思うが、片足立ちはまだ不安定。
上半身は・・・
上半身全体にしびれがあって体がずっしりと重い。手を使う作業の安定性はまだ不十分。改善しているかどうかは自分ではよく分からない。
筋力、関節は・・・
毎日トレーニングをしているので、筋力は少しずつついていると思う。関節はまだ弱くてプランクで自分の体を支えるのがつらい。ほぼ病気になる以前の体重に戻ったが、以前と比べると筋肉がついて脂肪が減っている。
心肺機能は・・・
2週間位前から軽いジョギングを始めたが、400~800m程度走ると疲れてしまう。
顔面は・・・
回復は非常にゆっくりで退院時と麻痺の状態はあまり変わっていない。相変わらず唇をあまり動かすことができず、大きく開くことときつく閉じることができない。
目は・・・
左右への動きは少しずつ良くなっている。複視の症状はほとんど変わっていないが、数十センチの距離までなら1つに見えるようになった。
嚥下は・・・
回復はまだ不十分で、水をゴクゴク飲むと息が苦しい。食べる時に舌を噛むことは減った。舌がまだ十分に動かないので、歯と頬の間に詰まった食べ物は手で頬を押して取っている。
発話は・・・
舌の動きが不十分でまだ呂律が回らないが、少しずつ改善しているように思う。会話した人が聞き取れずに聞き返すことはほとんどない。
2ヶ月ぶりの帰宅
5月10日に2ヶ月ぶりに自宅に戻った。
ホノルルから直接日本に行ってリハビリをすることになっていたら、もう2度とヒロには戻らない可能性もあった。しかしヒロでも自宅から通ってリハビリを続けられることが分かったので、それが一番いいということになった。
日本に戻っていたら、まずリハビリ施設や病院に通うのが大変だったかもしれない。東京でわざわざ車を買おうとは思わないし、電車やバスで通うとしたらそれだけで疲れてしまうかもしれない。
それに対してヒロでは、リハビリ施設も病院も家から車で10分足らずの距離にあって妻の運転で連れて行ってもらえる。この町がこんなに便利だとは今まで気付かなかった!
ホノルルのRehabに入院していた5月初めにハワイ島のキラウエア火山の噴火が起こって、ヒロでも大きな地震があったと聞いていたが、特に家に変わりはなかった。自宅は平屋の一軒家で玄関に入る時に3段の階段があるが室内の床には段差はなく特に転ぶ危険がある場所もない。浴室には転倒防止のためのシャワーマットと椅子を買ってバスタブの中に置いた。
ヒロにはRehabの分院のRehab at Hiloがあるので、そこに自宅から通って引き続きPTとOTのリハビリを受ける。またその施設にはSTのセラピストがいないので、ライフケアセンター(老人ホーム)のリハビリ施設に通って発話の訓練を受ける。だいたい週に4日間はリハビリ施設に通うことになるが、混んでいるらしく6月4日から開始することになった。
それ以外に自宅でも毎日リハビリを行う。PT, OT, STそれぞれ宿題がある。1日のリハビリの流れは以下のような感じである。全身のリハビリが必要なので、1日中リハビリをしている。
- 散歩、軽いジョギング(20分)
- ストレッチ(15分)
- 自宅ST,OT(顔、口、舌、目の訓練)(15分)
- 自宅PT(下半身、プランク)(45分)
- 買い物その他外出(これもOT)(1時間)
- リハビリ施設(PT, OT, ST)(45分~2時間30分)
- 自宅ST(発話、顔、口、舌)(20分)
- 自宅OT(腕のダンベル運動、指)(30分)
- 自宅ST,OT(顔、口、舌、目)(15分)
自宅でのリハビリ生活が始まった。いつ体は回復するのか、いつから社会復帰できるのか、これから先どれだけリハビリを続けるのか、この時はまだ何も分からなかった。
医療費
米国は医療費が高いというイメージがあるので、家族はどうなることかと思ったそうだが、ちゃんとした保険に入っていれば大丈夫である。
アメリカの医療保険は複雑で周りに正しい知識を教えられる人もいないので、退院後に保険会社に行って確認して初めてどれだけの自己負担が必要なのか分かった。僕が入っているHMSAという会社の保険プランでは、年間の自己負担額の上限が$2,500と決まっていてそれ以上は払う必要がない。どれだけ医療費がかかったとしても年間で$2,500だけ支払えばよいと分かって驚いた。
日本とアメリカでは診療報酬に大きな違いがある。
診療報酬というのは医療保険から医療機関に支払われる治療費のことであるが、日本ではすべての医療行為が国が定めた診療報酬点数に基づいて一律に計算されて報酬が決まる。つまりは病院が受け取る診療報酬は一律だし、患者の自己負担額も一律である。
一方でアメリカには診療報酬点数などというものは存在しないので、病院がそれぞれかかった医療費の請求額を決めている。そしてその請求額に対してある割合の金額が保険会社から病院に支払われるのである。その割合は病院と保険会社の交渉で決めれられるもので、それが診療報酬となる。
例えば、僕の場合はヒロメディカルセンターの医療費の請求額(医師の診察費はまた別である)は、約$340,000(約3,700万円!)だったが実際に保険会社から病院に支払われた診療報酬は約$100,000だった。それに対する自己負担額は約$2,000だったので、診療報酬のおよそ2%が自己負担額ということになる。そして残り98%の約$98,000を保険会社が負担して病院に支払ったことになる。
ヒロメディカルセンターの治療費以外に医師の診察費、リハビリ病院の入院費とリハビリ費用、退院後のリハビリ費用、病院への通院費など、合計でいったいいくらかかったか分からないが、$2,500以上は支払う必要はない。これは1つの病気に限らないので、例えば同じ年に風邪を引いて病院に行ったとしてもお金を払う必要はないということになる。
アメリカの医療保険の保険料は高いと言われるが、日本の社会保険と比べてそれほど大きな差があるわけではない。アメリカの医療費が高いというのは確かに正しいが、それは患者の自己負担が大きいということを必ずしも意味しないのである。
実は日本の健康保険にも同時に入っているので、請求すれば日本の保険の基準で点数計算された医療費の7割分が支給されることになる。アメリカの保険はほとんど何でもカバーするという印象だが、それと比べて日本の保険は適用基準がかなり厳しいようである。そして健康保険でカバーできなかった分を高額療養費制度で補って収入に応じて月額の自己負担の上限を決めていることになる。
結果的には日本と比較して、米国で治療とリハビリをしたことで医療費の支払いが随分安かったのは確かだろう。
退院
2018年5月10日
いよいよRehabを退院する日が来た。ヒロメディカルセンターも含めると2ヶ月に及ぶ入院生活が終了する。
米国のリハビリ病院は患者をどれだけ早く自宅に戻せるか?で評価されるらしく、入院日数の短さを売りにして病院が競っているようである。Rehabも平均の入院日数は12日間と短い。考えてみれば患者が求めていることは早く自宅で生活できるようになることなので、当たり前の評価基準なのだろう。でも日本ではこういう評価の仕方はしないんじゃないかな?
僕は体の運動機能の状態から言えばすぐに退院させられてもおかしくなかったが、おそらく目に問題があったので3週間も入院させてもらったのだと思う。おかげで麻痺しているとはいえある程度体が動く状態でレベルの高い理学療法を受けることができた。療法士はきついトレーニングを僕にやらせて楽しそうだったけど。。。
何はともあれ、Rehabでのリハビリ入院生活は、苦しくもあり楽しくもあり充実したものだった。
僕は日本で入院をしたことがないので比較はできないが、個人的にはアメリカで入院できてよかったと思っている。
医療のレベルはアメリカと日本で大差はないだろうし、病院の医療スタッフの質は平均的には日本の方が高いと想像するが、日本にもアメリカにも優秀なスタッフもいれば、そうでないスタッフもいるだろう。
ヒロメディカルセンターでの入院は、かなり特別な待遇だったような気がする。ICUでは看護師1人が昼も夜もずっと僕の病室に待機していたが、そんなことは普通あり得ないのではないだろうか?理由は分からないが、異国の地で夫婦2人で他の家族にも頼れないという状況だったので不憫に思って手厚い対応をしてくれたのかもしれない。
またヒロメディカルセンターでもRehabでも入院していた2ヶ月の間、病室はずっと個室にしてもらった。日本でもお金を余計に払えば個室に入れるだろう。しかし後で分かったことだが、アメリカでは保険に入っていれば医療費の自己負担が驚くほど少ないので、個室でも多人数の部屋でも自分で負担する医療費に変わりはなかったのである。
リハビリ病院で3週間
Rehabには3週間入院してリハビリを行った。その間の回復状況をまとめると、
下半身は・・・
入院時も器具無しで何とか歩くことはできたが、どうすれば自然に歩けるのか分からなくなってしまっていた。
セラピーでは廊下や屋外で自然に見える歩き方の練習から始めて、退院時にはある程度意識せずに歩けるようになった。階段は手摺りがあれば上り下りできるようになった。また多くのバランストレーニングを行ったが、片足で立つことは難しかった。
上半身は・・・
入院時から箸を使って食事をすること、風呂で自分の体を洗うことなど生活に必要なことはひと通りできていた。
退院時でも上半身全体にしびれがあって体がずっしりと重い感覚があった。また手を使う作業の安定性はまだ不十分だった。
筋力は・・・
セラピーではダンベルを使ったトレーニング、プランクなどの自重で負荷をかけたトレーニングなどをしていた。厳しいリハビリの成果で筋力は十分についたと思うが、関節が弱いので筋肉があってもあまり力を出せないと感じる。
顔面は・・・
右半分の麻痺の回復が遅かった。目以外は入院時と退院時で麻痺の状態は大きく変わらなかった。
目は・・・
入院時は左目はほとんど開いていたが、右目はわずかにまぶたが開いている状態だった。また目を左右へ動かすことがあまりできなかった。それと特に右目は色の識別がきちんとできていなくて、トランプの赤と黒のカードの区別がつかなかった。
右目が開き始めた頃にはメガネの左目側に部分的にテープを貼り付けて回復の遅い右目のトレーニングを主に行った。目が開いたのはいいがしっかり閉じることができなくて乾いてしまうので目薬を使っていた。
退院時には右目はほぼ全開になり視力も戻りつつあった。また両目ともに左右に動かすことが大分できるようになって、色の識別もほぼできるようになった。しかし両目が見えるようになって複視の症状が出てしまっていた。
嚥下は・・・
入院時はパンを食べることは許可されていなかった。また液体は粘度を高くしたものだけ飲むことが許可されていた。
退院時にはすべての普通の食べ物、飲み物を摂ることができるようになっていた。しかし食べ物を噛むことはうまくできず時々舌を噛んでいた。妻に病院の近くのセブンイレブンでカップラーメン、おにぎり、スナック、炭酸飲料などを買ってきてもらって、夜に食べていた。久しぶりのジャンクフードがうれしかった。
発話は・・・
Rehabでは発話のトレーニングを行わなかった。なぜか理由は分からないが、顔の麻痺が良くなれば自然に喋れるようになるという考え方なのかもしれない。
退院時も舌の動きが不十分であり、口の右側をあまり開くことができなくて呂律が回らずうまく喋れなかった。