ギラン・バレー症候群 治療とリハビリの記録

2018年3月にギラン・バレー症候群を発症してから米国ハワイで治療とリハビリを行なってきた。アメリカと日本の比較も含めて参考までに治療の経緯を記録する。

目が見えない?

2018年3月29日

便器に腰掛ける練習をした。しかし便を出そうとしても腸の機能が麻痺しているので出ない上に、背もたれがない便器に腰掛けるのは体力的に辛くてとても疲れてしまった。

そして、この日急に目が見えなくなったと言い出した。

「さっきまで見えていたのにどうして見えないんだろう?」

すると次のように言われてショックを受けた。

「今までもずっと目は見えていないんだよ・・・顔が麻痺していてまぶたが開かないから・・・」

すでに入院して20日経っていたが、何と僕は自分の目が見えないことをこの時まで知らなかった。

今まで見ていた物はすべて幻覚だったのだ。

これが夢と現実を全く区別できなくなっていた理由の1つだった。

 

幻覚では・・・

たくさんの知人や知らない人が常に見えていた。病院のスタッフの顔も見えているつもりだったけど、勝手に想像した幻覚を見ていたと後で分かった。

本当はずっと病室の中で寝ていたのだが、ときどき外出していると思っていた。28日に初めて歩いた時も車で外出した後に病院の駐車場で急に歩く練習が始まって椅子に座らされて、何で駐車場でこんなことをするんだろうと思っていた。

それで妻と話をしても噛みあわなくて、来ていない人が見舞いに来ていたとか、どこそこに行ったとか訳の分からない話をよくしていた。

これはせん妄というもので入院患者では10-30%程度の割合で見られる症状らしい。

 

リハビリ・・・

リハビリを受けている自覚はあったが、受ける度にすごく高い費用がかかっていて家族に迷惑をかけていると思っていた。一度、リハビリ中に気分が悪くなって予定していたメニューをこなせなかった。せっかく予約してもらったのに最後までできず、お金も無駄にしたと思って、本当に悲しかった。